アラサーOLの備忘録

東京に暮らすアラサーOLです

「依存症と家族」

 

依存症と家族

依存症と家族

 

2018年の夏、休職し始めた頃にカウンセラーに薦められた1冊。丸の内オアゾの「丸善」にあるカフェで、東京駅と行き交う電車を眺めながら読んだのを思い出す。当時は「参考になるな〜」くらいの軽い気持ちで、少しずつ読み進めていた。

 

いま読み返してみると、自分に当てはまる事柄がたくさん紹介されていることに気づく。1年前にはどこか他人事だった話も、自分のことのように捉えられる。家族の話を抜きにしては依存症は語れないとまで思う。

 

 

依存(アディクション)は アルコールや薬物などの病的な使用法のことで、嗜癖とも言う。「スーダラ節」の「わかっちゃいるけど やめられない」という歌詞は多くの人にわかってもらえるのではないか。これを詞にした青島幸男と歌った植木等はすごい。

 

依存症者とその家族は筆者(精神科医)の金言を読むだけでも救われるだろう。依存は「怒りに基づき、色々な形に転換される」「大切な人への怒りは見捨てられる不安を催起」「不安から逃れようとして目の前の快にしがみついている状態」「生存するための防衛」だと言う。怒りがどのように歪曲されるのか、なぜ家族との関わりが重要なのかという説明が素人にもわかりやすい。

 

そもそも意思の力ひとつで行動修正のできる人が、不適切で自己破壊的な習慣の虜になるはずがない 

この言葉は、例えば覚せい剤使用で逮捕された人が「使い始めたのは自分の意志の弱さ」「意志を強くして二度と使わぬようにしたい」と法廷で話すことへの強烈な批判である。意志という言葉を使うのはたやすいが、多くの場合そこに至るまでの自己が伴っていない。そのような人が再び依存に陥るのは目に見えている。

 

自分の生い立ちを振り返ってみれば、物心つく頃から厄介な父親との葛藤があったことや、長子のために家庭の不和・緊張感を受けてきたことが思い出される。「偽親」として家族には接してきたつもりだし、実際そうなっていた部分もある。家庭内にみなぎるピリピリした空気を自分のせいだと思っていた。まるでスケープゴート(犠牲の山羊)そのものだ。

 

しかし、この本は「それは違う」とはっきりと教えてくれる。学生の時に読んでいれば、ずいぶん救われたと思う。

 

作中でも何度か引用された、イギリスの社会学者であるアンソニー・ギデンズの言葉を心に刻みたい。

アディクションとは不器用で衝動的な過去の反復である

(依存症は)われわれを、われわれ自身から疎遠にして行く

親密性の変容

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