アラサーOLの備忘録

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「黒い看護婦」

 

黒い看護婦―福岡四人組保険金連続殺人 (新潮文庫)

黒い看護婦―福岡四人組保険金連続殺人 (新潮文庫)

  

 

全員死刑」に続き、凶悪犯罪を扱ったノンフィクションを読んだ。2002年に発覚した女性看護師4人による保険金連続殺人事件を丁寧に、冷静に描いている。白衣の天使と呼ばれる女性たちが起こした黒い事件。医療従事者が自らの知識・能力を利用して患者を殺害する事件は世界中で起こっているが、保険金殺人となると話は別だろう。それも、ひとりの男性も絡むことなく。

 

主犯・吉田純子(死刑執行済み)は1959年生まれ。福岡県柳川市の貧しい家庭に育った。自衛官を辞めた父親は定職を持たず、母親の内職で暮らした。家庭における父の存在感は薄く、純子の母は自分に顔立ちが似ている弟ばかりを可愛がった。母親と純子の関係は本書の大きなテーマの一つだ。

「幼い頃から自己の家の貧しさを惨めに思い、常に金が欲しいと思って、金銭に対する執着心を人一倍強くしていった」(検察の冒頭陳述)

 

時は高度経済成長期。日本経済は明るい未来を描き始めたかのように見えたが、同時に貧富の格差も生んだ。純子が生まれ育った福岡・柳川といえば川下りがあるが、大した産業はないらしい。そんな街で借家に住む自分と大家との経済格差を感じていた純子が、家やマンションという不動産への執着心を見せるのは自然なことだろう。その入手に詐欺や保険金殺人という方法を安易に選んだ点を除けば。

 

純子は共犯3人の人間的な弱さにつけ込んだ。それぞれ異性関係、夫の借金と浮気、同僚へのいじめの露呈という問題を抱えていた。共犯者は保険金殺人事件の加害者であると同時に、純子の詐欺の被害者でもあった。「だまされた相手は周囲の人間関係から引き剥がされる。そのせいで、相手はだまされたことに気づかない」(森による記述)

 

純子は共犯を家族や友人などから引き剥がし、自らの配下に置いた。3人は特に抵抗することもなく、家来のように女王・純子に従った。だって、純子はわたしを救ってくれたから。「一度、救われたと信じ込まされた人間は弱い。実はその救世主が諸悪の根源だとはなかなか思いたくない。というより、それを認めることが怖い。そうして、いつしか自分自身も悪に加担するさせられていく」「この女(=純子)を冷徹な現代社会の怪物に成長させたのは、実は彼女の周囲の弱さにこそその要因があるのかもしれない」(森)

 

森の冷静な視線は「自分は犯罪なんてするわけがない。まして殺人なんて」と思う多くの人の常識を打ち崩す。現代社会で悩みを抱えていない人などいないのではないか。そこに甘言でつけ込まれたらどうだろう。人は簡単に罪を犯すし、他人だって殺せるのだ。殺人なんて遠い世界の出来事だと考えている読者に、森は淡々と諭す。誰だって共犯3人のようになってしまうのだ、と。

 

純子は金持ちになりたかった。とりあえず見せかけでもいい。詐欺や共犯者の夫にかけていた保険金のおかげで、裕福になったと錯覚した。高級エステに通い、国内外へ旅行を繰り返した。「役に立つのは金だ」。わたしも含めて、そう考えている人は多い。マッサージやネイルアート、旅行も大好きだ。これらはいわゆる「残らない消費」と呼ばれるのかもしれないけれど、抗いがたい魅力がある。誰もが純子になる可能性もある。

 

そんな純子の弱点は母だった。金持ちになりたいという願望も母の受け売りかもしれない。金は母娘をつなぐ絆だった。金が必要になるときだけ、母は純子に甘えた。純子はやりきれない思いを抱えながらも、嬉しかったに違いない。本音では母は弟しか可愛がっていないことを認識していながらも。この母親は純子の死刑判決(あるいは死刑執行時も生存していたのだろうか)を聞いたとき、どんな気分だったのだろう。

 

優れたノンフィクションは対象との間に明確な距離がある。純子には不思議な魅力があり、共犯3人も魅せられてきた。そんな中で事実を淡々と描き、家庭や社会を考察する森は常に冷静だ。目をそらすこともないし、事件に思いを寄せることもない。この距離も本書をノンフィクションの傑作たらしめている理由の一つだ。同じ時代にこういう作家がいて、その本を読めるのはとても嬉しい。

 

「どうしてそんなに犯罪を扱った本や記事が好きなの?」と家族や友人にしばしば尋ねられる。それについては精神科医である岩波明の解説を引くしかない。「人々にとって、犯罪は娯楽である。みな、犯罪が好きなのだ」と。