母ががんになった6
手術が終わってすぐはスマホも見られないだろうと思い、翌々日にLINEのスタンプを送った。なかなか既読がつかず、ついた時にはホッとした。返信はなかった。
その翌日にスタンプ1つと「会いたいよ」と短いメッセージを送ったら、ベッドに横たわった母親の自撮り写真が送られてきた。喉を中心に体の様々な部分がチューブで繋がれていた。目は半開きで、やっとの思いで撮影したのが伝わってくる。
「無理」「スマホはできる」
最初の「無理」はわたしの「会いたいよ」に対する返信だったのだろう。これまで何があっても「大丈夫」「落ち着いて行動してね」という優しい対応をする母が、一言「無理」と言っている。ただごとではないということを、恥ずかしながら、このとき初めて認識したと思う。
「頑張っているね」「どこが痛い?」「みんな会えなくて残念そう。わたしもだけど。それだけは伝えたかった。またね」。わたしはいつもの100倍ポジティブで大人な自分を演出した。
「息苦しいのと顔の両側が突っ張っている感じ。写真をみんなに送信しておいて。頑張るわ」
「術後1週間になり、画期的に回復途中です。でもゆっくり食べられないの〜」
「もうダメかと思ったけど、色々な人に生かされている感じ」
「12月中も入院です。仕方ないよね。少しずつ、良くなるしかないよね」
母の言葉は時折哲学者のようになった。それでも元々の親しみやすさは変わらず、緩やかに回復していっているのだろうと想像していた。
だから余計に「胃ろうをつくる」と聞いたときは驚いた。本当に母は重病人なんだなと思った。手術は成功したのだが、胃ろうの扱いに手こずっているようだった。
「胃ろうの操作ができなくてイライラしてる。人がしてくれる方から見ると簡単だけど、自分でするのは手が逆で難しい!怒っても仕方ないけれど〜」「慣れるしかないね」
1週間程度経つと胃ろうにも慣れてきた。その頃には「昔行った椿山荘のレストランが『ゴチになります』に出てたよー」とか他愛ない話をしていた。
年末年始はどうしても母に会いたくて、実家に帰った。