アラサーOLの備忘録

東京に暮らすアラサーOLです

母ががんになった3

シルバーウィークに計画していた旅行は無理を言って友人に付いてきてもらった。友人と母は高校時代から面識があるので、とても心配してくれた。母も「○○さん(友人)の言う通り、治る病気だと思います。少し休めということかな?」と返信してきた。

 

長崎旅行はそれはそれは素晴らしかった。様々な文化が往来したのが分かる長崎市内、稲佐山からの夜景もよかった。

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特に良かったのは島原鉄道の「しまてつカフェトレイン」。おいしいスイーツを食べながら、日本で最も海に近いとされる大三東駅などを楽しめる観光列車で、母が乗りたがっていたものだ。長崎に行く機会があれば、ぜひ乗ってほしいと思えるほどの出来栄えだった。

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LINEを使い「いま大三東にいるよー」と実家に帰っていた母親と電話した。アテンダントの方も「今度またぜひいらしてくださいね」と話してくれた。母は少し泣いていた。

 

雲仙で1泊、小浜で1泊した。どちらの宿も素晴らしく、観光も楽しかった。ただ時折「本当はここもお母さんと来るはずだったんだよな」と感傷にふけり、友達にも申し訳ない思いをさせた。

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母のことで雲行きが怪しくなったのは小浜に泊まった日だ。この日は敬老の日でもあり、友達がホテルのベランダで涼んでいる間に父方・母方の祖母に「おめでとう」と電話していた。母方の祖母と話していると、伯母(母の妹)に変わった。

 

叔母もかつて甲状腺癌をやったことがあるので「お母さん、どうなのかな?」と聞くと「あんた、何にも教えられてなかったの?」とあきれられた。ステージ4であること(叔母はステージ2)、手術に時間がかかること、退院したら母の実家(叔母と祖母が暮らす)ことなど、初めて聞くことばかりだった。体が震えた。涙がこぼれる。そんな姿を友人に見せたくなくて、トイレにこもった。スピーカーで話し続けながら、甲状腺癌の情報をインターネットで探しまくった。

 

「もしお母さんが死んだら、わたしも死ぬから」。叔母に伝えると「またあんたは馬鹿なこと言って・・・お母さんが伝えなかったのは心配させたくなかったからだよ。○○(自分)が東京でちゃんと仕事をすることを一番望んでいるはず」という言葉が返ってきた。そのほか「健康だけが取り柄だったところがあるから、本人も驚いていると思う」「家族がしっかりサポートしないと、病気に立ち向かえない」というお言葉もいただいた。教員で自立していて強い人だから、こんなに上から目線で喋れるんだな。だから結婚には失敗したんだな。と腹は立ったが、地元で母を支えてもらっているのは事実だった。

 

ステージ4という事実を受け止められなかったが、ホテルの温泉で泣きながら徐々に認めようとしていた。「もう医者や病院を信用して、祈るしかない」。長崎空港で母に送るカステラを選びながら、自分の心を何とか落ち着かせようとしていた。
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