アラサーOLの備忘録

東京に暮らすアラサーOLです

「黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件の真実」

ルーシー・ブラックマン。一人の英国人女性の名前は、ある世代以上の日本人をひどくノスタルジックな気持ちにさせる。2000年7月、彼女は東京から消えてしまった。怪しい男性からかかってきた、奇妙な電話のメッセージとともに。

 

きっとたくさんの人が、垂れ目のブロンド美女が微笑む写真を覚えているだろう。六本木でホステスとして働く、英国航空客室乗務員(CA)の、21歳の英国人。当時のわたしは表面的なプロフィールをなぞってみても、理解できないことがたくさんあった。幸福そうな外国人(白人)が、元CAのキャリアを持つ女性が、どうして異国の地の水商売に足を踏み入れたのか。そんなに魅力的な場所が日本にはあるのか。それなら、突然姿を消したのはなぜか。

 

綿密で怠慢な捜査の末に犯人が逮捕された後後も、謎は増えるばかりだった。在日韓国・朝鮮人だった男の出自(突然報道されなくなる)、裕福すぎる暮らしの中で育まれた彼の異常な嗜好に加え、殺人容疑は無罪だというのに、無期懲役という罰を与える日本の裁判所。遺体発見と犯人逮捕に沸いたマスコミの勢いは急速に失われていった気がした。まるで、間違って舞台に出てきた俳優に光を当ててしまったことに後悔するように。

 

黒い迷宮(上)──ルーシー・ブラックマン事件の真実 (ハヤカワ文庫NF)

黒い迷宮(上)──ルーシー・ブラックマン事件の真実 (ハヤカワ文庫NF)

 
黒い迷宮(下)──ルーシー・ブラックマン事件の真実 (ハヤカワ文庫NF)

黒い迷宮(下)──ルーシー・ブラックマン事件の真実 (ハヤカワ文庫NF)

 

 

英タイムズの記者である著者はそんな謎めいた、曲がりくねったばかりの事件に、真っ直ぐな光を当てる。不完全なルーシーの家族、日本(東京)に来た理由、ホステスという仕事。「外国人(ガイジン)」として長年日本を見てきた著者は、日本人でも説明できない事柄を的確に描いている。日本の記者は一生かかっても大手メディアで書けないだろう。

 

被害者と加害者、それぞれの家族の描写が心に残る。のちに犯人(受刑者)から「お悔やみ金」を受け取ったルーシーの父と、誰にも頼れずスピリチュアルに傾倒する母(夫とは離婚し)、心に傷を負った妹弟。貧しい生まれの犯人の父が在日社会でどうのし上がっていったか、順風満帆だったのになぜ香港で急死したのか。犯人の兄弟それぞれが日本・日本人との向き合おうとしても、見えない差別はそれすら許さない。

 

この本は悲惨な事件のノンフィクションであると同時に、不幸で幸福な家族の物語で、アイデンティティーとの向き合い方を伝える教本でもある。きっかけはやじうまとしての好奇心でも良いし、犯人への反感でも良い。1ページめくったら、もう止まらなくなるはずだ。