アラサーOLの備忘録

東京に暮らすアラサーOLです

実家の効用

3月下旬、東北地方にある実家に帰った。「実家とは本来、結婚した女性が未婚時に住んでいた家を指す。それ以外の場合は『生家』が正しい」と大学時代に聞いたけれど、もはやほとんど本来の意味で使われていないので、未婚だが実家とする。

 

実家が嫌いだった。抑圧的な祖母、精神的に弱い父親、一生懸命ひとりで家族を支えていた母。祖父と妹とはそれなりの関係を築いていたと思うが、仕事と家事に追われている母親がかわいそうで帰省するのが辛かった。年末年始には積極的に仕事を入れて、代休は東京でだらだら過ごした。先輩からは重宝がられたが「何で実家に帰らないの?」とよく聞かれた。説明するのが面倒なので「人が少ないときに働く方が楽なんです」とか「大晦日にオフィスで振る舞われる年越し蕎麦とかテンション上がりません?」と適当に返答していた。

 

うちの家族も悪くないかなと思い始めたのは、カウンセリングに通い始めてしばらく経った頃だろうか。通い始めた頃は父と祖母への憎しみでいっぱいだった。祖母は田舎のお嬢様育ちなので、全てが自分中心に回る。夕食では他の家族が黙々と箸を進めるなか、祖母は今日あった出来事、知人友人の噂話、有名人のゴシップなどを延々と喋り続けた。家の北にあり、寒く冷たい食卓はそのままわたしの家族のイメージと重なる。

 

カウンセリングのなかで様々な家族のあり方を知った。正社員でしっかりと働く父親こそ至高の存在だと思っていたけれど、それは全ての人に当てはまらないこと。祖母が喋るとみんな黙っていたけれど、母親のように話に付き合ってあげればよかったのかもしれないこと。母も祖母のことを「も〜おばあさんったら☆」と返すテキトーな人だったら、食卓の風景が違っていたかもしれないこと。だけどもう、それは願っても戻ってくる時間ではないこと。

 

地元の蕎麦屋で母親に「何で離婚しなかったの?」と聞いたことがある。「借金があったり、暴力を振るったわけじゃなかったからね」。確かに父親は何度も躁鬱病にかかり働けなくなったが、それは離婚の理由にはなり得なかったらしい。(無言の虐待はあったと思うけれど)「愛していたのね」。カウンセラーは言った。愛?

 

母が父を愛していたのかはよくわからないけれど、父は母のことが大好きだ。最近は熟年離婚されないように、新聞で見たDo CLASSE(ドゥクラッセ)でリュックサックやスプリングコートを買って、母に贈っている。新しく始めた仕事は父親の性質に合っていたようで、楽しそうに続けている。過去を知っている身からすると奇跡のようだ。

 

祖父は認知症が進み、わたしのことを覚えているか怪しいレベルになった。強かった祖母はそれに付き合わされ、心身ともに弱くなった。(婿養子として苦労した祖父の復讐だと思っている)母が家族の顔色を伺わなければいけなかった風景は一変し、誰もが母を頼りにした結果、頂点に母が立つという逆転現象も起こった。

 

あんなに帰省したくなかった実家なのに、いつの間にかかけがえのない場所になっていた。祖父母が弱ったり、父が働き始めて過ごしやすい環境になったのもあるが、実家に背を向けていた自分が家族のことをよく見て、話して、考えるようになったのが大きかったと思う。歪んでいた認識を認識することができた、というか。初めて東京に戻りたくないと思った。これを書いている今も、実家の方が楽に過ごせたと思う。

 

と書いたときに、母から「父がうざい」というLINEが来たので、やっぱり東京にいようかな。家族はきっと、亡くなるときまで複雑に形を変えていく。

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